牧村城
別名- | 付近住所 岐阜県安八郡安八町牧1387-1 | 現在 円長寺 |
2012/4/2 | 案内板アリ |
牧村氏 | 山内一豊ゆかりの牧村城址 牧村城 16世紀の戦国時代、当地に小城があり、牧村牛之助政倫(斎藤竜興の家臣)が居城していました。のちに政倫は、牧村兵部利貞(利休七哲の一人)を継嗣にしました。城址は、古記録に「村南にあり」とされており、この付近と推測されます。 一豊のかかわり 土佐藩祖となった山内一豊は、15歳の時(永禄3年 1560)城主牧村政倫の元に身を寄せました。 一豊は、守護代岩倉織田家の家老山内盛豊の子として生まれました。永禄2年、織田信長に攻められ、岩倉城は落城し、父と兄は討ち死にしました。一家は流浪の艱難の時、当地に寄寓しました。 出世の足がかり 一豊は、政倫が敵に襲われた時、水色の帷子鉢巻き姿で馬に乗って撃退するなどの武功をたてました。また、地道で誠実な人柄を高くかわれ、秀吉の家来になりました。その後、妻千代の内助の功もあり、土佐24万石の大名にまで出世しました。 牧村城は、若き一豊が激動の中を過ごし、政倫や西美濃の諸武将から貴重な人生を生き抜く才知を学び、出世の足がかりになるところでありました。 |